笹川敏幸プロフィール

生い立ち

北海道の南部の小さな漁村生まれ。小学生までは、海と山にかこまれた自然の豊かな土地で暮しました。教員だった父、母、弟と4人家族。母が霊感が強い人で霊的な問題でとても苦労をしました。自分もその母に似たのでしょうか、幼少期から人にはみえないもの、きこえないものと隣り合わせでした。

学生時代

霊的な問題は自分にとって気になることでしたが、ものごころついた自分には、自分の生き方を模索するほうが課題でした。霊感はすごく半端なもので、なんの役にも立たなかったのでごくごく普通の学生生活を送るように努力しました。が、どうしても周囲との分離感が消えず、気持ちがうつうつとする一方でした。精神的なバランスを得る為に音楽に没頭しました。高校生の頃からジャズに傾倒し、ピアノを弾いてみたいと思うようになり必死で練習しました。大学は3年目で目標を見失い、中退しました。

会社員時代

大学を中退し、ゲーム業界に就職。同時に札幌に移り住みました。ファミコンがブームになり、ゲームデザインとプログラムに携わりヒット作を生み出しました。が、仕事のがんばりすぎでパニック障害を発症し、抗うつ剤と安定剤を常用するようになり、体調や精神面でのバランスを維持することで大変な苦労を味わいました。なんとか苦境を乗り越えて仕事の成果もあがってきた30代前半、祖母の死をきっかけに「霊感」が再び目覚め、いやおうなく「霊能者」としての修業に入ることになりました。

霊的なトレーニングと、カウセリングの基礎を学ぶ

霊能者でもあった先生について、2年ほど勉強をさせてもらいました。その先生は最先端のスピリチュアルなカウンセリングについても熱心に勉強なさっていた方だったので、いろいろな方法を教えてもらう事ができました。この時期にカウンセリングの基礎を身につけることができました。また、素晴らしいチャネラーにも出会い、この頃から高天ケ原の聖なる意識や天使達と言葉を通じて会話をするという体験をしました。これが人生の価値観が180度転換するきっかけになりました。そろそろ日本でもニューエイジブームが盛んになった頃です。ですが、一方で霊的な障害が激しくなり、いよいよ本格的な修業をせざるをえなくなりました。

修験者としての修業期間

上記の先生の手にはもう終えない、ということで改めてきちんとした修業をしなければならなくなりました。そうしなければ、もはや日常生活がままならず、仕事にも影響が出るかもしれないという危惧がありました。また、自分が霊的に敏感であることや、こうした苦労をしていることはけっして会社では知られてならないと思っていましたので、もっぱら週末を利用して修業を積みました。出羽三山の修験者である先達に巡り合い、山に入り、自然と一体となるなかで霊的な研鑽を積みました。この頃から瞑想にも本格的に取り組みます。ひととおりの神秘体験を経て、なにかがふっきれたように感じました。この段階でかなり人にヒーリングをしたり、霊視することもできるようになっていました。

’96年〜人生の転換期〜ピアニストとしての活動を始める

会社勤めは続けていましたが、修業の成果でしょうか。霊的な影響は全く受けなくなりました。自信も湧いてきて、違う生き方を模索してみたいと思うようになり、まずピアニストとして演奏活動を開始しました。また翌年にはソロアルバムを録音してリリースしました。Webサイトも立ち上げ、沖縄、福岡にも縁がありコンサートに出向きました。また、スピリチュアルな出会いが多くなり、さまざまなセミナーに参加したり、新たな出会いの輪が広がりました。そして「音霊(おとだま)」の制作を開始しました。

’00年〜レイキと出会う

音色を作る過程で非常に苦労をしましたし、またヒーリングについても不安定感がありました。もっとなにかを学びたいを願っていた矢先、当時札幌に在住していたドイツ人のレイキ教師、フランクペッター氏に出会い、レイキマスターまで習得しました。

’01年〜レイキの指導を開始、そして…

レイキの指導を開始し、そして18年勤めた会社から離れフリーになりました。そして「光のサロン」を開設しました。

高天ケ原との交流、光のマスターとの再会

「光のサロン」を開設し、当初はレイキの指導と「音霊(おとだま)」の制作に没頭しました。縁があって作家の田口ランディさんにも音色を提供しました。また、翻訳家の山川紘矢さんのCDに楽曲提供をしたり、少しずつ活動の幅が広がるようになりました。また、並行して以前から交流のあったチャネラーさんを通じて、高天ケ原の聖霊に多くのメッセージを受け取りました。そこには、自分の前世のことや今生での自分の役割など、実に多くの情報とアドバイスがありました。やがて、自分自身でも聖なる意識とつながるようになり、直接メッセージを授かるようになります。最終的には、この時期に自分の光のマスターである「キリスト」と出会います。それは言葉にすることはとてもかなわない素晴らしい至福体験でした。サロンを開設したのはいいけれど、当初の2年間は仕事としてはまったく成立していなかったので非常に厳しい日々でした。毎日のように祈り、導きを願い、自分はどのように生きればよいのかを聖霊達に問いかけていました。そんなある日、光が降ってきたのでした。それは言葉でもなく、ビジョンでもなく、ただ純粋に光でした。全てが包まれ、満たされ、そして癒されました。あまりにも神々しく、大きな存在に、たじろぎ、うろたえてしまうほどでした。その光はどこまでも自分の全身全霊を貫いてしまうほどまばゆく純粋でした。夢をみているかのような時間でしたが、後日、それが本当だったのか、幻だったのか分からなくなり・・・混乱が始まったのですが・・・。再び、光は降ってきました。その日から、自分は二度と光を見失うことはないと確信するようになりました。

日々、聖霊達に導きを願わない日はなくなりました。毎日、祈りを捧げます。そして、多くのメッセージを受け取りました。癒しの技法についても、たくさん授かりました。それを伝えるようになってから、多くの人たちがカウンセラー、またはヒーラーとして独立し、それぞれの道を切り開いていくようになったのです。「光が伝えたものが遂に地上に根ざしたのだ」と思いました。少しずつ自信をもって、自分のメッセージや技術を伝えていけるようになった、今日この頃です。

2006年4月 記す